奈良県の室生村という所だ。
室生寺でそこそこ知られているがあまり有名ではない。
ほぼ三重県側の県境にある。
俺が住んでいた場所は室生寺よりずっと離れた集落だ。
まわりにお店が何もなく、5年ほど前にローソンができたくらいだな。
そのローソンに行くにも車で5分かかる。
バスも1日3本…
近くに駅はなく、一番近い大野駅か榛原駅までも車で15分ほどかかった。
よくテレビで見るような過疎地だ。

その当時は「あと20年したらこの田舎もお店がたくさん出来て栄えるだろう」と幼心に思っていた。
だが20年たっても道路がほんの少し整備されてローソンが一軒できたくらいだ…
過疎地というのは発展しないのだ。
むしろ衰退していく。
若い人はどんどん町に出て行き年寄りばかりが残るからな。
親が、子供は田舎の自然の中でのびのびと暮らしてほしい という方針からここに来たのだ。
…しかし俺は当時はインドア派で外で遊ぶのがあまり好きではなかった。
友達にクワガタ採りに行こうといわれてもあまり気乗りしなかったな。
当時流行っていたファミコンのドラクエをやるのに没頭していた。
今思えば田舎に住んでいたのにあまり自然に触れ合えてないよな…
家は祖父の家の隣に建てた。
一戸建てを建てたのだが土地込みで700万円だったらしい。
さすがにド田舎だからこの値段で建てられたのだ。
こんなへんぴな場所で暮らすメリットがあまりないからな。
家は今も残っているのでたまに帰る。
自然が多くてすごく癒される…
小学校も酷かったぞ。
当時全校生徒47人だったかな。
俺のクラスで11人だ。
弟など4人だぞ。
↓(最近、訪れた多田小学校)

俺の学年は女の子が2人だけだったが後に1人太っちょが転向してきて3人になった。
3人いたがまぁまぁ見れたのは1人だけだったな。
残り2人は、それはそれはキツくて…
青春時代の一番多感な時期に同世代の女の子が3人しかいていない…
これは非常にまずかったよな。
多感な時期に女の子とほとんどコミュニケーションできんかったから。
これが今の非モテにつながっているのだろうか…
もしこの時期に普通の300人位の普通の小学校に通っていたら今は変わっていたのだろうか。
小学校5年生から1年間、奈良県の桜井市というところに塾に行くことになった。
車で40分ほどかけて。
桜井は小さい街なのだが当時の俺にはすごく都会に感じた。
いや桜井はハッキリ言って田舎だ。
だが都会に思えるほど当時の俺は世間知らずのド田舎者だったのだ。
電車は走っているし、駅もJRとの乗り換えがありそこそこでかいしで。
…塾に行くまで電車など数えるほどしか乗ったことがなかったしな。
切符の買い方すらよく分からなかった。
塾に行くと同年代の子がたくさんいた。
田舎者の俺はすごく緊張してしまった。
そして女の子も室生村では見ないような綺麗な子が多かった。
当時すごく興奮したのを覚えている。
たまに喋りかけられても緊張してドモってしまったり、そっけないふりをしたりした。
何を喋っていいのか分からなかったのだ。
普通に楽しそうに女の子と喋っている男を俺は羨みの目で見ていた。
小学校6年の時に奈良県の橿原市というところに引っ越した。
桜井市よりは栄えた街だ。
まぁここも大阪や東京に比べれば相当な田舎なのだが。
生徒数は700人位だったろうか。
さすがに転校して1ヶ月くらいは毎日憂鬱だった。
気分が全然落ち着かないのだ。
クラスの人は多いし、知らないことだらけだし、車は多いし、建物があるしで。
情緒不安になった。
転校したときの紹介で先生に「山から降りてきた室生君です」と紹介されたときは鬱だったな。
俺は猿か!
こういう心無い一言は今でもハッキリと記憶に残っている。
俺が旅行が趣味で自然や寺が好きなのは、田舎育ちが影響しているからだろうな。
今は大阪で働いているが今でも都会に苦手意識がある。
だいぶ慣れたが。
もしずっと室生村で今も住んでいたらと思うと…
恐怖すら覚えるな。
育つ環境て大きいよな。